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  鳴門海峡を臨む淡路島の南端、南あわじ市阿万に標高145mの大見山があり、その山頂に全国唯一の動員学徒の記念塔”若人の広場”があります。この施設は先の大戦で我が国の敗色が次第に色濃くなった後半期に、全国で約400万人の学生、生徒が 戦場や軍需工場あるいは農村に動員され、その5%にあたる20万人余の若く尊い命を国のために捧げたところです。
 学半ばにして国難に殉じた霊を慰め、併せて生き残った動員学徒との交流の広場として昭和42年建立された記念塔で、ほかに戦時資料館及び宿泊施設よりなっています。

 この施設の建設の中心的役割を担っていた人は熊本中学(現熊本高校)卒業の宮原周治さんです。 宮原さんは在学中に軍需工場に動員されたおり空爆に遭い両手を失いました。戦後上京して動員学徒の救済援助の活動に従事していましたが、400万人の動員学徒と20万に及ぶ犠牲者のための記念施設建設を決意し不自由な体にもかかわらず、その建設資金集めに全国を行脚していました。
 この施設の誘致に熱心だった長野県の某地に決まりかけていたときに当時南淡町(現南あわじ市)の町長だった森 勝さんがこの話を聞きつけて異論を唱えたのです。 戦没学徒の遺書集などには「きけ わだつみのこえ」と題が付けられていたことから、「わだつみとは海のことである。」 「されば四方海に恵まれている日本で、海のない長野県に建設するのは如何なものか.。
 それにひきかえ南あわじ市は古くからの要塞の地。くわえて鳴戸の潮騒がきこえる瀬戸内海国立公園の一角をしめる景勝の地。ここに建設しなければ学徒の霊も浮かばれないとの論陣をはって宮原さんにも現地を視察してもらって、とうとうこの大見山山頂に建設されることに決まったのです。
 確かに大見山山頂からの眺望はすばらしいものがあります。鳴門海峡をへだてて鳴戸、徳島の山々が広がり、鳴戸の渦潮をまたぐ鳴戸大橋の勇姿がはるかに望まれそれに淡路の岬がつながる風景はいつまでみ写真ていても飽きることがない。
 美しい空と海と山が見渡せる大見山山頂に丹下健三氏の設計によるペン先をかたどった高さ25メートルのモニュメントが建っています。もう倍の高さにすれば山頂とのバランスがよかったかもしれないが、国立公園の高さ制限でこの高さがせいいっぱいだったのかも知れない。 この記念塔の下部には『若人よ。天と地を結ぶ灯たれ。』と記された「永遠の灯」が灯されていました。

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